日本の刺青の歴史とは・・・
刺青は古代から行われていた行為である。
古墳からもそれらしき物の発見されてるが、実際の写真はないので絶対に刺青を入れていたとは言えないですがほぼ間違いない事実である。
日本の刺青の歴史はとても古く縄文時代から始まっと推測されています。
「三国志」の書物の中には「男子は、身分の高い人、身分の低い人、子供さえも、体に絵模様を描いている」と書かれています。
古い書物の一節に書かれているだけの事なので刺青を入れていたのかもしれないという推測程度しかできない情報です。
弥生時代の刺青を入れていた人達が存在したなら、現代のオシャレで入れているのではなく、呪術、魔除け的な意味で入れていたのだと思います。
ほかには琉球時代(現在の沖縄)から始まったとされる女性が手に入れる「ハジチ」があります。
ハジチは実際に入れている人の写真が多く残されています。
ハジチは沖縄固有の風習です。
沖縄の地域によって、デザインが変わっていたりします。
ハジチ彫りを専属でする、針突師(ハジチャー)が彫っていました。
女性のみが入れていた刺青です。
13歳頃から少しずつ刺青を増やしていき、結婚したら完成するように行われました。
大人の女性になる儀式ようなものだと思います。
魔除けやおまじない的な意味で入れるものです。
ハジチの風習は明治時代に入り政府からの規制により入れる人がいなくなります。
密かに昭和初期までは行われていたらしいです。
だいぶ高齢ですが現在でもハジチを入れている人で生きている人もいます。
現在は新たに、ハジチを入れる若者はいません。
ですが、ハジチのデザインのアクセサリーが売っていたりはします。
それとアイヌ文化時代(現代の北海道)これも女性が結婚した際に口の周りや手に入れる今でいうとこのトライバルタトゥーを入れる文化がありました。
アイヌの刺青も写真の資料などが多く残されています。
アイヌ文化の刺青もまた女性が入れるものでした。
刺青の入れ方は、カミソリのような刃物で皮膚に傷を入れて、シラカバを燃やした煤(スス)をすりこみ、アオダイの煮汁で止血して入れていくそうです。
アイヌ文化の刺青は宗教的な意味合い入れるものです。
ハジチと同様に政府からの禁止令により、入れる人はいなくなってしまいます。
以前、アイヌのデザインの刺青を自分で彫っている女性アーティストの方の記事を読んだ事があります。
古代、琉球、アイヌの刺青は厄除け、宗教的な伝統で入れるものでした。
この刺青の文化は、このまま消えて無くなってしまうんではないかと思っています。
ですが刺青という形は消えてもデザインは生き、形を変えて現在に残っていたりします。
2に続く。。
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