刺青、彫り物、和彫りの歴史。

刺青

和彫りの刺青がもっとも発展を遂げたのは、江戸時代!

江戸時代の最初の頃に侠客の人がお守りの意味で「南無阿弥陀仏」等を彫る人達が現れます。

 

侠客とは、現代でいうヤクザではありません。

 

 

町で起きたトラブルなどを解決してくれたり、する相談役的な人の事です。

 

 

他には以前の記事で書いた、遊女の人達が気請彫り(きしょうぼり)と呼ばれる刺青を入れるのが流行ります。

 

 

これは、お気に入りのお客さんに愛の証的な意味で彫っていたらしいです。

江戸時代中期になり、徳川八代目、通称、暴れん坊将軍徳川吉宗の時代に罪を犯した人に刑罰として「入墨刑」が始まります。

罪を犯した人に入れる入墨だけあってデザインが酷いです。笑

 

 

三回、罪を犯すと「犬」という文字を入れられたりします。

 

 

入墨刑は町により腕に入れたり、顔に入れたり場所による、違いがありました。

 

 

この入墨刑のおかげで一番最初に入墨の入ってる人は悪い人というイメージがつくようになっていったんだと思います。

 

 

時代は江戸時代後期になると刺青が最も発展する時代になります。

 

 

今までの刺青といったら小さい絵柄の現代でいうワンポイントデザインの刺青だけでした。

 

 

「水滸伝」の絵の中に全身に描かれた、刺青の絵が登場します。

 

 

水滸伝は三国志みたいな中国の歴史小説です。

 

 

江戸時代に日本に輸入されてきました。

 

 

その輸入されてきたものに、浮世絵師の歌川国芳や葛飾北斎が挿絵の中に全身に刺青の書かれた作品を書きました。

 

 

その全身に書かれた刺青の絵は繊細に書かれていて、美しいものです。

 

 

 

これが大きな刺青を入れる和彫りの彫りものブームになるきっかけです。

 

 

現代でも和彫りの刺青のデザインを選ぶ時に、江戸時代の浮世絵の作品を選ぶ人は多くいます。

江戸時代に彫り物を好んで入れた人達は職人の人が刺青を入れました。

 

町火消の人。

大工の人。

漁師の人。

歌舞伎役者も刺青を入れます。

お祭りでは刺青は見せ物であり、全身に刺青を入れる事が江戸の男の粋でした。

 

 

今でも浅草の三社祭とかで刺青の入ってる人が担いでるのが行くと見れます。

 

全身に彫り物(刺青)を入れるのが江戸のブームになります。

 

江戸時代は褌(ふんどし)に刺青の入ってる人が当たり前に歩いてるのが普通の時代です。

 

ですが入墨刑の人が犯罪者といのを、隠すのに大きな彫り物を入れる事もあり、政府は刺青禁止令を出しますが効果はあまりありませんでした。

 

 

むしろ、武士でさえも刺青を入れる人が出てきます。

 

 

刺青を彫る値段は1回彫ってもらうのに金1分(2万円)で徐々に彫ってもらっていたそうです。

今のタトゥースタジオに通うのと同じくらいの価格です。

 

現在は機械(マシーン彫り)が主流ですが、江戸時代はもちろん手彫りです。

3に続く。。

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